妙高山〜大谷ヒュッテ 2004年1月3(土)〜4日(日) 『白い粉』中毒に、かかっちゃいました(妙高ツアー) 報告者:花井 厳冬期の1月、ついに妙高に訪れる機会に恵まれました。 今回は、三田原山を経由して妙高山の中腹を目指しました。そこは、にぎやかな杉ノ原ゲレンデとは全く趣を異とするパウダーの別世界、静かなツアーが楽しめました。 日 程 :2004年1月2日(金)夜行〜4日(日) メンバー:宮崎(ボード)、阿野(テレマーク)、松原、花井(山スキー) ルート :杉ノ原ゲレンデ―三田原山稜線―妙高山中腹−大谷ヒュッテ(泊)―三田原山稜線−池の峰―林道―杉ノ原ゲレンデ 1/3(土) 杉ノ原スキー場に4時半ころに到着。駐車場で、しばらく仮眠。 8:30に出発。標高差1,000mの三田原山・入山ポイントへは、ゴンドラと高速リフトを乗り継いでわずか15分ほどで着く。天気は、麓では曇り空で三田原山は灰色の雲に覆われて、その姿を現さなかったが高度を上げるにつれて空の色に青味が増し、入山ポイントでは晴れとなる。 標高差1,000mのアルバイトなしは楽チンではあるが、ゴンドラで休んでいる間に体が冷え切ってしまいシール登高には辛いものがあった。しかし、阿野さんのダイナミックなラッセルに導かれて11:30、三田原山稜線にヒョイと出てしまった。阿野さん、お疲れさまでした。(今回のツアー中は、先行者のトレースを見ることはなかった。) 稜線まで上がると、さすがに風が強く小雪も混じるようになる。間近に望む妙高の姿は、三田原山、赤倉山の外輪山に閉ざされ、人が近寄るのを拒むかのように雄雄しく厳しい冬山そのもの、そして、火口原はパウダーの宝庫、別世界であった。はやる気持ちを抑えて、シールを外し、ブーツとビンデイングを滑走モードに切り替える間に、滑りに対する不安がだんだんと昂じて何とも言えない気分となる。 11:50、火口原を目指して滑走開始、標高差200m、30°はある斜面を、泊まり支度で重くなったザックを忘れて、しばし空中遊泳する感覚を味わえた。これがパウダーの悦楽か。この時、この斜面が『行きはよいよい、帰りは怖い』を演じることを、夢にも思わなかった。 14:30、登高中断の時刻となり大谷ヒュッテへ転進、滑走する。中腹部はパウダーであったが、高度を下げるにつれてブッシュが濃くなり、斜度も増してきた。雪質も軽い状態から重たいものへと変わり、とにもかくにも滑りは難しい。斜度が落ち、ブッシュもなくなり大谷ヒュッテを見てホッとした。しかし、一息つけたのは、つかの間であった。ここからの雪質が最悪、表面は硬くクラスト、その下は重たい雪のためスキーが回せないのである。ターンの度に、転んだ。近くにあるはずの大谷ヒュッテが遠のいて見えた。 15:30、四苦八苦して大谷ヒユッテに到着。思わず『△△です』『どうぞ、お入りください』の一人芝居を演じられるような貸し切り状態だ。早い夕食をとりながら、いろいろな話をした。昨夜来の長旅もあってか、早々に床についた。 1/4(日) 5:50起床、ゆっくり時間をかけて朝食をとり、出発は7:20。天気は、風も穏やかな上々の晴れである。噴気口からあがる有毒ガスで、熊も近寄らないという“地獄谷”の危険地帯を避けるため一気に高度をかせいで、往路をとって返すルートを進んだ。 キックターンを幾度繰り返したのだろうか、いつの間にか下を見ると足がすくむような高さまで上がっていた。30°の開けた斜面を斜上するのは、空恐ろしいものがある。ここが雪崩そうな斜面というとこか?いろんな妄想が湧いてくる。それらを振り切って前進あるのみ。2時間ほどかけて、ようやく高さ200mほどの斜面を上がり三田原山の稜線に立った。それまでの緊張が解けたのか、思わず天を仰いでしまった。目に飛びこんできた青空の美しかったこと。 一息いれた後11:50に、池の峰を経由して林道までの標高差1,000m近い大斜面の滑降に移る。核心部のパウダーを過ぎると1月始めと時期が早かったこともあって、結構ブッシュが出ていた。この斜面の雪質は、火口原とは異なり陽射しを受けて想像以上に変化がある。花井は、自然雪、ブッシュ、ザックの三重苦に喘ぎながら倒けつ転びつの滑りとなった。宮崎さん、松原さんはすんなり滑っている。さすが! 阿野さんは、テレマーク・ターンがちょっと思い通りにならない様子…。 13:50、林道から杉の原ゲレンデに戻り、終了。 (追記) ゲレンデに戻ってからの阿野さんのテレマーク・ターンは、先程までのことが嘘であったかのようにビシッと決まっているのであった。 *注 大谷ヒュッテ周辺、特に南地獄谷付近は有害な硫化水素が発生していて、風向き等によっては大谷ヒュッテでも危険ですので十分注意して下さい。地元の方から情報をいただきました。どうもありがとうございました。 トップページに戻る |